MMD杯ZERO参加作 UGSFアニメ化計画「スターブレード・ジ・アニメーション―オペレーション・プロミネンス―」制作を終えて:前編

スターブレード・ジ・アニメーション―オペレーション・プロミネンス―MMD杯ZERO版

少し遅くなりましたが、ビームマンP主催の動画投稿イベント「MMD杯ZERO」が無事終了しました。

当サークルも告知の通り、MMDによるUGSF単独作品アニメ化としては始めての試みとして、UGSFアニメ作品「スターブレード・ジ・アニメーション―オペレーション・プロミネンス―」を同イベントに出品しておりおます。

様々な作品キャラクターが共闘するクロスオーバーこそMMDの華だと私は個人的に認識しているのですが、今回はサークルのUGSFアニメ作品である事にこだわり、UGSFの世界観単独で完結するシナリオを書いております。
また、モデルデータやエフェクト、音源等もMMDであればシェアされている物は多くとも、利用を最小限度に留め、UGSF関連のモデリングはほぼ私一人でこなしました。

そうした事もあり、今回モデリングした一部のUGSF航宙機はこちらで配布しております

この作品については色々語りたい所があるのですが、まず前半戦という事で、シナリオについてお話させて頂ければと思います。

NewSpaceOrderが衝撃を持ってUGSFファンに迎えられてから暫くして、私はNewSpaceOrder対戦会の幹事をしながらも、この広い宇宙を舞台にした戦いで画面上には表示されない大勢の「名も無きエース達」にも物語があるだろうし、それをリッチコンテンツとして描いた物が見たいし、無いならば作るしかないかと考えていました。
その一つがStarArchive1.0の小説です。

やがて、次なる作品をどうするか、思案をめぐらせていた時、極めて端的なおふざけが脳裏に過ぎりました。
「惑星一つが丸ごと大奥だったら上連雀三平先生もビックリの集団ナニが出来るよね」
対戦会終了後の酒の席を終えた後の帰路で、私も随分と奇妙なアイデアを口走ったのです。
「その星の名前はタンポポだな」
参加者の一人が呟きました。
こうして、ダンデリオン恒星系と言うエリアがUGSFの世界に構築されました……
そう、当初はハーレムコメディ的なライトノベルを想定したアイデアが生み出されていたのです。

一方、私の中での忘れられない原体験の一つには超時空要塞マクロスにおける、マックスとミリアの結婚式がありました。
それもあって、地球人とボスコニアンの異文化コミュニケーションコメディはそれと同様の面白さがあると考えました。
そしてよりコメディ路線を目指してみてはどうかと構想を膨らませました。
最初はこの「ダンデリオン恒星系を舞台とする物語」は例えるならタイラーみたいなコメディ案件だったのです。

さて、不思議なタイミングではありましたが、私は当時の勤め先で、日本人エンジニアと中国人エンジニアの混成チームでプロジェクトマネージャーを任されていました。
そして、それぞれの価値観や考え方の違いに触れる機会を得ました。

大変にストレスフルではありましたが、日頃コミュ障の分類に入る私も気がつけば、双方の仲介役として、自然と仲良く会話を交わすようになっていました。
中国のあるエンジニアは「前のマネージャーは私の話を一度も聞いてくれなかったので、もう日本を去る事も考えていた。けれども貴方は私の話を聞いてくれたから続けられた」と私にそう語ってくれました。

『異なる文化、異なる価値観の持ち主同士、衝突する事はあれども「友好関係を築く為に何が出来るか」を考えて行動する事は決して無駄ではないし、何よりもドラマチックな体験になる』
私はその時強く確信しました。
その頃から、この「ダンデリオン恒星系を舞台とする物語」はボスコニアンと地球人の異文化コミュニケーションを軸にし、現実の出来事をモデルにしたシリアス寄りのストーリーに変化し始めたのです。
確かにボスコニアンは遺伝子改造によって「女性に良く似た外見」ではあるためボスコニアンとの異文化コミュニケーションの物語を広義のハーレム物と言う事も出来ましたが、いわゆるラブコメディのような物では既になくなっていました。

それから暫くして、私の周囲や私自身の身には良くも悪くも様々な出来事が重なり、その度に私は思考をめぐらせる事となりました。
犯罪被害当事者となった友人の話、出自の問題で悩む友人、そして私自身が生まれながらにASDと言うハンディキャップを背負っていた事を主治医から宣告された事、自分自身がLGBT/Bだと自覚した事、そして同じ当事者の人達との交流、そこからうまれる新しい文化と葛藤、何故人は集団に帰属するのか。
その集団は最後にどこへ向かうのか。
様々な出来事に際して、どうすれば解決策があるのか、真剣に考えました。

LGBT/Bである事は、私にとってそこまで大きなハンディキャップにはなっていませんでしたが、LGBT/Tやクィアの置かれている状況は過酷で、今の日本では生活も困難な状態が続いています。
ASDについても、大勢の当事者が悲劇的な道を歩む事を強いられており、大変な困難を抱えていますし、実際に私も自分の生に疑問を抱く事が幾度と無くありました。
では2900年代の銀河連邦はどうしているのだろうか?
殊更ボスコニアンのように性別や文化を失った人達を社会はどう受け入れるのか。
そうして私は様々な思考実験をしました。

一方で別の疑問も浮かび上がりました。

異なる性質の人々を抱えながらも衝突する事は無い、平和な社会は理想ですが、現実ではそこに辿りつけていない。
それではUGSFの世界、2900年の銀河連邦ではこの命題をどう解決するのか。
人々は何を思うのか、そう考えていく過程で一連のダンデリオン恒星系を舞台にする物語は極めてシリアスな物となっていました。

単純な排除、もしくは強制的な同化政策、いずれも遺恨を残すでしょう。
相互理解と相互配慮が理想ですが、それを好まない人が居ます。
それは対立関係の発生を利益の機会と看做す人です。
そうしたダークパターンに立ち向かう事がいかに困難かは詳しい人であれば察しがつくでしょう。

少し前、イギリスがEU脱退を主張し、世界の難民達から最後の希望の地とされていたドイツがついに難民受け入れに対してギブアップを宣言しましたが、この2つのニュースを見て私は大変驚きました。
何故なら、星降る宙のダンデリオン執筆中に「異なる性質の存在を受け入れる集団にとっての本音と建前の問題」と合致する節があったからです。

結果、ハーレムコメディ・異文化コミュニケーションコメディとしての色は殆どなくなりましたが、その代わりにリアルな重みを持つ話が出来たのではないかと考えております。
特に今回のオペレーション・プロミネンスでは、銀河連邦においては異質な存在である異星人=ボスコニアンの苦悩と社会的断絶を軸に描き、上記のテーマを描く事を考え「星降る宙のダンデリオン」に続いていく物語としてまとめました。

この「オペレーション・プロミネンス」から「星降る宙のダンデリオン」が抱える幾つかのテーマの一部を感じ取って頂ければ幸いです。

随分話は堅くなってしまいましたが、次回は実際の制作についてお話をしていきたいなと思います。

後編はこちら