UGSFをアニメ化する方法・番外編-ヒーロー論-

皆さん、物語の主人公≒ヒーローとはどうあるべきか考えたことはありますか?
英雄、ヒーローとは人を救う存在であるのが基本です。
その骨子にあるのは人を慈しむ精神ではないかと私は考えています。
苦しんでいる人、悲しんでいる人、弱い人を無条件に助ける人、それこそが救世主たるヒーローではないでしょうか?

何故このような思考に至ったかというと私の人生の中での幾つかのエピソードがあります。
私はミッション系の幼稚園に通っており、現在はキリスト教の洗礼を受けたクリスチャンなのですが、生涯を通じて聖書に慣れ親しんできました。
幼稚園での牧師さんによるメッセージでは、いつもキリストや聖人が弱い人を、苦しんでいる人を助け、それを正義とする話を聞いてきました。
そして常に困っている人、苦しんでいる人、弱い人を助けるという人を慈しむ精神の大切さを学んできました。
しかし、小学校に入ってから、道徳の授業ではそうした人を慈しむ精神については殆ど触れられなかった事に私は強い違和感を感じました。
他の幼稚園から進学してきた同じ小学生たちは人を慈しむどころか、攻撃的で、乱暴で、到底私とは相いれることのできない存在が殆どでした。
その時、人は人を慈しむ精神を失っているのではとこの世界の人間に疑問を抱くようになったのです。

そんな中、もう一つの体験をしました。
私は生まれつき、ASDとADHDを併発しており、脳にハンディを背負っていました。
学校にはなじめず、記憶力のと集中力の欠如で成績も悪く、挙動も不審でいじめられ、絶えず「どうして普通学級にいるんだ、早く支援学級にいけ」といった趣旨の暴言をぶつけられ、両親からは「何故勉強を頑張らないんだ」と虐待され裸で冬のマンションの共用通路に立たされたりもしました。
いわゆる女性よりも弱い男性=弱者男性でした。

そんな地獄のような小学生時代にたった一人、私をかばってくれたクラスメイトがいました。
勉強のサポートをしてくれ、いつも話し相手になってくれる。
優しく人を慈しむ精神を持つただ一人の人でした。
その人は女性でしたが、他の男性よりも遥かに強く頼もしく人としての正義を貫いている人だと私は思いました。

私が描く物語のヒーロー、ヒロインは強くもありますが、それよりも人を慈しむ優しさが先に立っています。
それは、優しさをもった存在の尊さを身をもって知っているからです。
強さよりも、優しさこそが人にとっての救いになることを知っているからです。

昨今のアニメやライトノベルでは強さこそ強調されますが、その強さを持って人を守るという、人を慈しむ精神が少し足りていないようにも感じられますが、気のせいでしょうか?

こんな時代だからこそ、優しく、人を慈しむ精神を持ったヒーロー・ヒロインが求められているのではないのでしょうか?
今回のUGSFアニメ化計画において、主人公のカケルは優しさの片鱗を見せていますが、その本質は今後公開される小説、星降る宙のダンデリオンでより深く知る事ができることになると思います。

どうぞ、私の考えるヒーロー像を受け取って頂ければ幸いです。

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